出版放浪記① 執筆
小説を書こうと思ったのは、二十歳のとき。大学受験に失敗したあとだ。
高校は、毎年東大に五十人入るマンモス校だった。
まだ世間知らずだった僕は、文学部志望だったが、軍人のおじいちゃんに育てられ、古い考えを持つ親から、
「文学部なんて女の行くところだろ。法学部か経済学部以外は絶対に認めない」と強く言われ、受験させてもらえなかった。
だから、両親が望む大学の試験当日、試験をサボった。
おかげですべり止めの大学しか受からなかったのだが、大学へ入り、僕は焦った。
社会的発言力のある強い両親に決められた道を歩むのではなく、自分の道を歩きたかった。
だから、四年というモラトリアムの期間に、父とは違った世界で結果を出さねばならなかった。
はじめは映画監督に憧れ、映画を撮ることを考えた。
子どものころからの映画好きで、学生のころからいつも小遣いで三本立ての名画座に通っていた。
だが、映画を撮るには金も人脈もいる。だから、小説という媒体にしようと思った。小説なら、監督にもなれるし、役者にもなれる。
そのころ、作家の村上龍さんがこんなことを言った。
「十代に敗北感を味わったことのない者には、小説は書けない」
この言葉は、強すぎる親の支配下にいて親の言いなり奴隷だった僕の心を強く奮い立たせた。
周りがバラ色のキャンパスライフを満喫しているときも、受験生のように図書館にこもり、小説や哲学書を読みまくり、シャープペンで原稿用紙にこりこり物語を書いた。
筒井康隆、中島らも、村上龍、ダニエル・キイス、江戸川乱歩らに夢中になった。
大学教授からは、ああいう奴が一人ぐらいいてもいい、と友だちに話していたそうだ。
それはさておき小説家になるには見聞をひろげる必要がある。
だから、いろんなバイトをやった。
家庭教師、プールの監視員、引っ越し屋、ガソリンスタンドのスタッフ、ファストフードの厨房……。様ざまな世界を経験し、自分の世界をひろげたかった。
いまは潰れてしまった出版社の短編賞に応募したら、編集者から電話があった。
「朝丘さんの作品を気に入ったので、今度弊社から出版する短編集に載せたいです」
「本当ですか」
「ただし、載せるには七万円ほど費用がかかります」
これは怪しいと思い、その場で断った。
結局、編集者から連絡があったのはそれだけで、四年かけて書いた長編は落選した。
いま読み返してみても、当時書いたものは稚拙なものだった。
四年の間に結果をだせなかった僕は、一般企業に就職し、社会人になった。
対人関係は下手だったが、職場では、だれよりも真面目に働いた。小説どころではなかった。
働けど、働けど、報われず、学歴社会の厳しさを思い知らされた。
それから十数年の時が流れ、三十代。理学療法士の国家資格を取ったあと、社会人を経、交通事故に遭った。
交通事故に遭ってから一年半後、高次脳機能障害と診断され、そのころは一生働けないと宣告されたのだが、医師に何がやりたいかを問われ、
「小説が書きたいです」と答えた。
医師に言わせると、「好きなことをやることが脳の機能回復に一番良い」とのことだった。
詳細は覚えていないが、たぶん、そのころから小説の執筆に着手したのだろう。
交通事故に遭い、意識を取りもどし、気がついたらスケジュール表や入院日記をつけていた。
その日その日にあったことをまとめていたようだ。
足のむくみや骨折部の痛みの様子。その日の具合。リハビリの様子。よくない看護師のつまらないジョークやふるまい。宗教勧誘のやり口等々。
整形病棟に肘と足の手術で入院したあと、同室の患者さんから送られてきたメール。
メールには、病室のベッドで漫画雑誌を読み、ガンダムのプラモデルを組立て、出前で宅配ピザをとっている様子が添付画像で写っていた。
いまもそうだが、なにか浮かぶと、すぐにメモ帳に控え、あとでノートに写していたようだ。
これはa-haのソングライターであるポール・ワークター・サヴォイから学んだことだった。
現在はどうだかわからないが、デビュー当時のポールはなんでも思いついたことはアイデアノートに書きとどめ、それらを材料に曲を作っていた。
健忘がでていたので、医師や見舞いに来てくれた人たちとの会話、カウンセリング等はテープにも録していた。
カセットレコーダーは、事故に遭う前、旅の行きがけに購入した。
ふつうの人もそうかもしれないが、〈読むこと〉〈書くこと〉は、高次脳機能障害の僕にとって、かなり負荷がかかることだ。
障がいの出方は千者千様なので、書くことができない、という人もいる。
書いては直し、書いては直し。
そうした作業を毎日くり返しながら、ひとつの章を、だいたい九十日かけて完成させた。
本という形にしようと思ったのは、せっかく記録に残したものを何らかの形にしないともったいないと感じたからだろう。
ただ、闘病記と呼ばれるものは、シリアスになりすぎたり、重たいものが多い。
だから、「抜け毛を気に病む主人公が、入院中、行く先々の病棟で出会うハゲどもと育毛し、そこに自分を見出していく」という明るい(まぶしい?)要素を加えた小説にしようと考えたのだろう。
そのころ、メール日記なるものもつけていた。
文字通り、メールのやりとりをまとめたものだ。受信記録と送信記録が交互に記録されている。今でいうLINEみたいなものだ。
そのときそのときの気持ちや医師の説明を、微細にわたって知人や友人にメールで送り、返信を受けていた。
同室にいるモンスターペイシェントの様子。友人から弁護士を仲介してもらういきさつ。
保険会社とのやりとり。メールでも、精神的に参っていることや、いらついていたのが伝わってくる。
これらの記録は、あとから登場人物の、そのときの気持ちを考えるうえで役に立った。
ただ、 事故に遭って一か月くらいしてから、 様ざまなことについて激怒している記録がある。
〝 どうしてそんなことで 腹を立てているのだろう? 〟
あとから疑問に思うような、かっとなっている様子が メール日記に残されていた。
我ながら、 相当精神状態が悪かったんだなあと思う。
現在もそうだが、脳が疲れやすいため、執筆は「書いては休み、書いては休み」のくり返しだった。
学生時代、本は年間200冊は読んでいたが、数ページ読むだけで脳が疲れてしまうため、なかなか資料も読み進められず、自分に苛立った。
やるしかないよなぁ、と思いながら、毎日資料の本を十から二十ページ。小一時間デスクに向かうと頭がずーんと痛くなる。
何もできなくなる。
退院してカウンセリングを受けていたが、脳が疲れやすいため、最初は一回に十五分話すところから始め、四十五分くらいまで話していられるようになった。
「脳が委縮した人間は早死にする」という文献を見てしまったので、すこし怖かったりもするが、人間なるようにしかならないから、受け入れるしかない。
とりあえず、脳が疲れてしまったときは、じっとしている。
ある程度脳を使うと、頭がじんわりと痛くなり、本を読むことも、音楽を聴くこともテレビを観ることもできなくなる。
これを僕は〈魔の時間〉と呼んでいる。
横になっても眠くはない。ただひたすらオーバーヒートした脳が回復するのを待つ。
無価値な時間だ。
時々いやな考えが、脳裡をかすめたりもする。
とにかく〝脳力〟は限られているから、こつこつやるしかなかったのだが、それでもこつこつの積み重ねで月に一、二冊は資料の本が読めた。
小説は、長編を書こうとすると散漫になるから、小さなチャプターに分け、チャプターごとに育毛ねたを絡めていくという形をとった。
交通弁護士さんの指示でカルテ開示をしてみたところ、各病院からたくさんの書類が郵送されてきた。
手術記録、脳外科通知表、投薬指導記録、リハビリテーション実施計画書等々。
手書き、あるいは電子カルテとフォームはまちまちだが、いかに多くの人が自分に関わっていたかを思い知らされた。
警察の調書も取りよせたところ、事故現場の見取り図や、自分をはねた車両の写真などが送られてきた。
ぶつかったときのスピードは60キロ。跳ねとばされた距離は13メートル。
僕を轢いた車両はかなり凹んでいて、クラッシュしたときの、壮絶さというものが改めてわかった。
上述の資料に加え、スケジュール帳が一冊、大学ノートに書いた入院日記が七冊、そのときとのときの心身の状態を記して医師に提出していた〈身体症状ノート〉が十数冊(これは退院後何年もつけていた)、分厚いファイルにまとめたメール日記が一冊半、愛犬成長日記が一冊。
つまり、文材は十分に揃っていたわけだ。
暗い話になって大変申し訳ないが、書いている途中、精神状態が悪くなり、自死寸前まで追いつめられたこともあった。
そのときは、原稿は信頼がおける兄に託そうと、CDRに焼き、遺書まで書いたのだが、結局は送らなかった。
もし送っていたら、さぞや迷惑だったに違いない。本当に送らなくてよかった。
とにかく毎日すこしずつ書き足しながら『オレンジ病棟』の初稿は三年半かけなんとか〈継続の力〉で書き上げた。
さらに完成までは半年以上に及ぶ編集者さんとの話し合いがあるのだが、その話はおいおい。
©2024 Daisuke Asaoka
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