タモツのマル秘計画 後編
病院特有の消毒液の匂いがこもっている廊下で、まわりに人がいないことを確認すると、タモツとてっちゃんは、野口くんの病室に入った。野口くんはベッドでゲームチャンピオンをしていた。
「野口くん」
「なんだ、きみたちか」
「元気?」
「元気だけど、なにか用?」
「いや。用ってほどでもないんだけどさ」
「用がないなら、出ていってもらえないかな。ぼくは忙しいんだ」
タモツはもじもじと尻ごみした。完全犯罪をするには勇気がいるのだ。
てっちゃんも、そわそわしている。
(父さんをばかにされたんだ。やるしかない)
タモツはごくんと唾を呑みこむと、突然、びっくりした顔で、
「チョモランマ!」
あたまの上で三角形をつくった。
「チョモランマ!」は、小中学生のあいだで人気のある、お笑い芸人・ウンチマンの一発芸だ。休み時間にタモツが教室でこれをやると、いつも大きな笑いがおきた。
だが、野口くんは無反応だった。
「ちくしょうっ!」
てっちゃんがパジャマのズボンに手をかけた。
「よせ、てっちゃん!」
タモツが、てっちゃんをとめた。
だが、てっちゃんはズボンとパンツを一緒に脱いでしまった。ちんちんが丸だしだ。
てっちゃんは、ちんちんをふりながら、
「カフェオーレ!」
とさけんだ。
裸でむずかしいことを言えば、笑いがとれると考えたみたいだ。
だが、野口くんはやはり無反応だ。ゲームばかりして、テレビでお笑い番組を見ないのかもしれない。
しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。
タモツとてっちゃんは一生けんめいギャグをやった。野口くんはにこりともしない。
それどころか、軽蔑のまなざしでふたりを見ている。
タモツは焦った。自分が本当に負けぐみになったような気がした。病室内を、気まずい空気がおおう。
そのときだ。
「うぎゃあああぁあ! 虫がついた!」
てっちゃんがさけんだ。
見ると、一匹のクモがてっちゃんの背中についていた。
「あっ、クモだ!」
てっちゃんの背中を指さし、野口くんがさけんだ。
「タモツくん! クモとって! とって!」
てっちゃんは半泣きになりながら、クモをふり払おうとする。
「やめろー、クモ! あっちへいけ!」
裸のまま、そこらじゅうをグルグルと走りまわるてっちゃん。
野口くんが吹きだした。
「あっはっはっはっ! ヘンなの、あっはっはっはっ!」
(そうか。野口くんはこういうのに弱いのか)
タモツは急いで裸になった。するどい目つきで渋い人の顔をしながら、野球のピッチャーのものまねをする。
「あっはっはっはっ!」
野口くんがまた吹いた。
そして、おなかの右下をおさえた。
(やった!)
タモツはうれしさを隠せなかった。てっちゃんも満面の笑顔だ。
ふたりは丸裸のまま、組体操をしたり、総理大臣のものまねをした。
「あっはっはっはっ! おなかが痛い。あっはっはっはっ! ちょっと、やめて。もうやめて。あっはっはっはっ!」
おなかの右下をおさえながら、笑いころげる野口くん。
いまこそ野ぐそを殺すチャンスだ、とタモツは思った。
そう。タモツの考えた完全犯罪とは、野口くんを笑わせて、盲腸の手術痕をひらかせるというものだった。
看護師さんの話では、盲腸の手術後は、笑うとおなかが痛くなるらしい。
笑って手術痕がひらけば、剣やピストルを使わなくても、おなかから血がでて、野口くんを殺せる。これなら証拠は残らないから、殺してもぼくとてっちゃんが犯人だとわからない。そう考えたのだ。
実際、お笑い攻撃は、タモツが思っていた以上の効き目があった。
野口くんはおなかの右下をおさえながら、
「いたい。いたいよぉ~」
目から大粒の涙をこぼしはじめた。
「どうしよう。タモツくん、どうしよう」
てっちゃんがおろおろとタモツの顔を見た。
「野口くん、死んじゃうよ」
そう言われると、タモツも急に心配になった。
(憎いやつだからといって、人を殺していいのか!? 人を殺すことは、ワルモノのすることじゃないのか!?)
タモツのあたまに、小学校のときに担任だった野中先生の温顔が浮かんだ。
「大丈夫かい?」
ふるちんのまま、真顔で近寄るタモツを見て、野口くんがまた吹きだした。
「あっはっはっはっ! やめろ! もうやめろ! あっはっはっはっ!」
苦しそうに、おなかの右下をおさえる。
そのとき、病室のドアがひらいた。
「あら、きみたち。そんな格好で何してるの」
看護師さんだった。野口くんのお母さんも一緒だ。
女の人にちんちんを見られ、タモツとてっちゃんは気まずくなった。
しかられる。ふたりとも、そう思った。
「ごめんなさい」
タモツとてっちゃんは、ふるちんのまま謝った。看護師さんと野口くんのお母さんは、にこにこしている。タモツとてっちゃんは、急いで下着とパジャマを身につけた。
それから背広を着た男の人が、看護師さんの後ろから現われた。
きゃしゃでメガネをかけていて、どことなく野口くんに似ている。
「お父さん!」
野口くんがさけんだ。
「いい子にしてたかい」
「うん」
ベッドに歩みよるお父さんに、野口くんが抱きついた。再会の涙をながす野口くんのあたまを撫でながら、野口くんのお父さんは、タモツとてっちゃんに落ちついた声で言った。
「うちのヒデヨと遊んでくれて、ありがとう」
それから野口くんに向かって、
「ヒデヨもゲームばかりしていないで、みんなと遊びなさい」
野口くんはお父さんの胸に顔をうずめたまま、黙ってうなずいた。
野口くんのお母さんが、タモツとてっちゃんに、ヒデヨのお友だちになってあげてね、とチョコレートをくれた。
それからタモツとてっちゃんは、看護師さんと一緒に、野口くんの家族を残して病室を出た。
廊下へ出ると、看護師さんが言った。
「野口くんはお父さんが外国でお仕事をしていて、いつもは家にいないから淋しいのよ。それでお父さんに買ってもらったゲームばかりしているの」
(……そういうことだったのか)
タモツは野口くんを許すことにした。
てっちゃんが鼻水をずずーっとすすりながら、看護師さんにチョコレートを見せた。
「いま、食べてもいい?」
看護師さんは、ちょっとだけならいいよ、と言った。
タモツとてっちゃんは、看護師さんと、こっそりチョコレートを食べた。
©2024 Daisuke Asaoka
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