志村けんの若い時代に迫る!【高校生編】

古名 飴
古名 飴
さて今回は志村けんさんの高校時代を追っていきます!

すでにスタートしての頭角を現し始めている志村けんさんはいったいどんな高校生だったか気になりませんか?

そこを今回は調べて解説をしていきます!

今回も志村けんさんの記事楽しみいい!

またコントの動画3時間くらいみちゃったよ・・・

いっぱい思い出してまだまだ100年くらい人の心のなかで生きてもらわないとね!

嫁

 

💡この記事で得られる情報

→志村けんさんの高校生時代について知れる目から鱗の記事です!

 

 

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都立久留米高等学校(現:都立東久留米総合高等学校)

 

1965年4月に都立久留米高等学校(現:都立東久留米総合高等学校)へ入学し、1968年3月に卒業をしているそうです!

 

また時代を感じさせるように、高校の名前も変化しているのでまた志村けんさんのレアな情報ですね!

 

この高校には志村けんさんが通っていた中学校での仲間も10人ほど一緒に受験をしたそうですが、受かったのは志村けんさん一人大たそうです笑

 

テレビでも、その画面のコント中とのギャップでとても人見知りだった一面を持つ志村けんさんは、きっと

初登校の日も、とても緊張していたのではないかと考えるととても新鮮ですね😌

 

では、高校生でのエピソードを見ていきましょう!

 

当時ビートルズが大好きでマッシュルームヘアーだった?!

 

 

これがまた本当みたいなんですよね笑

 

その姿は私たちが知る志村けんさんとは違いかなり雰囲気の違いを感じさせます!

 

“志村けん”の名前の由来に感動・・・

 

志村けんさんの父親は『志村憲司』さんといい

 

以前紹介をしたように小学校の教頭先生でとても厳しい性格の父親だったそうです。

 

そしてその志村 憲司さんがテレビのお笑いを見て大笑いをしていたのを見て

将来父を笑わせられるお笑い芸人に憧れを抱き、芸人を志すことを決めたそうです。

 

なのでここでのストーリーで分かることは、父親の名前を芸名にしていたんですね!

 

TV番組『ファミリーヒストリー』で、1962年に父親が校長先生になるためしかくを撮りにバイクで試験会場に向かう途中

事故にあい、高度の後遺症で校長になることを諦めた父の苦闘に志村けんさんは頭を悩ませたとか・・・

 

おそらくそんな父が自慢できる最高の息子になるために、“けんじ”の“けん”をとり“志村 けん”を芸名に決めたのではないかと

言われています。

 

実は大学には進むつもりはなく授業をさぼりまくっていた

 

理由は特にわかりませんが、よく授業をサボっていたそうです笑

 

あの志村けんさんでも私と同じような一面を持っていると思うと

 

急に親近感も湧きますし、それでいてあんな大勢の国民からの期待を背負い日本を元気にし続けていた遠思うと

本当に愛おしい存在ですよね。

 

初体験は高校二年生の初彼女!?

 

 

ついに志村さんの十八番である、少しエッチなキャラの始まりの時期がこの時期では?!

という情報が出てきましたね笑

 

こんなことで喜んで申し訳ないですが、やはり有名芸能人の初体験などは気になりますよね?

 

その当時の彼女と、ビートルズのコンサートの衛星中継で「愛こそすべて」を聞いて興奮して襲い掛かったとか笑

 

なんだか、いい初体験ですよね。

 

下心だけではなく、何か感銘を受けて行為がしたくなったという慣性の高さが見えますね!

 

次回はついに大学編!

 

さて次は大学編!

行かない予定でしたがいよいよドリフスターズに弟子入りをするため放送大学へ!

 

ストーリーはここから加速します!

 

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