#98: 新日本プロレス道場の思い出【朝丘 大介】

 新日本プロレス道場の思い出

 

小学生のころ、プロレス大好きっ子だった僕は、新日本プロレス道場に足しげく通った。

 

 

 

道場は塾の友だちが住んでいた九品仏駅から歩いて二十分のところにあった。

 

 

 

道場に行くと、練習を終えたプロレスラーたちが、道場前のアパートの駐車場のスペースで日光浴をしていた。

 

 

 

ほとんどが前座のレスラーで、まだ若手だった高田延彦さん、山崎一夫さん、小林邦昭さん(その他は体を壊して辞めてしまった若手たち)といった面々で、中堅では木戸修さんがいた。

 

 

 

彼らはみな上半身裸でビキニ一枚の姿だ。

 

 

 

なぜかというと、健康的な〝魅せる肉体〟を作るため、日光浴をして日焼けをするのである。

 

 

 

折りたたみのパイプ椅子に座り、見学に来た子どもたちの色紙にサインを書いていた。

 

 

 

オフの時間の小林邦昭さんはヌンチャクの練習をしていた。

 

 

 

古い道場の隣は新日本プロレス寮になっており、窓を開けて覗くと(覗くなよ)、前田日明さんがカールゴッチと話ながら、丼に盛ったご飯を、大きな鍋に入ったちゃんこをおかずに、何時間もかけて食べていた。

 

 

 

プロレスラーにとって、食べることも練習と同じくらい大切な仕事なのだ。

 

 

 

いまは天国に逝かれた木戸修さんは、見学にきた子どもたちを一人ずつスクーターの後ろに乗せて、近所を一周して帰ってくる行為をくり返していた。

 

 

 

〈写真は若手時代の某大物レスラーと小5の僕〉

 

 

 

見学に行ったら、レスラーが全員巡業に出ていて、ひとりもいなかったので、鍵の空いた道場の中に、友だちと二人でこっそり入ったこともある。

 

 

 

中央にリングが鎮座した道場には、とんでもなく大きなバーベル、ダンベル、コシティなどのトレーニング器具があり、ボロボロになったサンドバッグには、故キラー・カーンさんの上半身が油性マジックで描かれていた。

 

 

 

山崎一夫さんが、僕を見て

 

 

 

「この子、テリーに似てない?」

 

 

 

と他の若手レスラーに同意を求めた。

 

 

 

以降、山崎さんからは見学に行くたびに

 

 

 

「テリー、また来たね」

 

 

 

と言われるようになった。

 

 

 

苦しい練習を終えた山崎さんが寮の二階の窓からビタミンCの飴を投げてくれたことがある。

 

 

 

僕はその飴をキャッチできず、道に落としてしまったのだが、山崎さんはもう一度飴を投げてくれ、今度はキャッチした僕が飴を口にいれると、優しくにっこりと笑って頷いた。

 

 

 

山崎さんに対する子どもたちの人気は絶大で、山崎さんはサインをねだる小学生たちの色紙に、ていねいにウルトラマンの絵などを描かれて子どもたちの心を掴んでいた。

 

 

 

そんなわけで子どものころ、可愛がってもらったこともあり、僕は大人になっても、引退されるまで山崎一夫さんのファンだった。

 

 

 

いまでは某テレビ番組の企画でピカピカにリフォームされた道場と寮だが、古ぼけた昭和の新日寮には、あのアントニオ猪木が、初代タイガーマスクが、藤波辰爾が、前田日明が流した汗の魂があった。

 

 

 

©2025 Daisuke Asaoka

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