#63:だから、君も辞めとけばよかったのに【朝丘 大介】

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だから、君も辞めとけばよかったのに

 

交通事故で全身六か所の骨折と脳挫傷を負い、都立荏原病院に入院しているとき、服部さんという男性が見舞いにきた。

 

 

 

服部さんは、半年前、理学療法士だった僕が辞めた老人保健施設の支援相談員だった。

 

 

 

眼鏡をかけ、大柄だが穏やかな男だった。

 

 

 

病院の談話室は混んでいるということで、服部さんの車で近所のファミレスへ行き、話すことになった。

 

 

 

「この間、一か月ぶりに風呂に入ったら、ビールジョッキ一杯分の垢が出ましたよ」

 

 

 

ハンドルをまわす服部さんにそんな話をした。(なぜ憶えているかというと、憶えているのではなく、そのときの録音テープが残っていた)。

 

 

 

残業八十時間のほかに週に二回の夜勤当直があり、僕が過労で辞めた職場で、服部さんはまだ支援相談員を続けていた。

 

 

 

「みなさん、元気ですか」

 

 

 

元気ですよ、と服部さんはやけくそ気味に笑った。

 

 

 

「その笑いは何ですか」

 

 

 

「いじめ」

 

 

 

「相変わらず?」

 

 

 

「ええ。大川さんも辞めちゃいましたよ」

 

 

 

「大川さんもですか?」

 

 

 

「ええ。一人でやってくれって言われて、やっぱりきつかったみたいですね。何かやっぱりがんばったんだけどできないみたいな感じになっちゃって。で、事務長は植木に水やるだけだし……。最後血圧が高くなっちゃってね、大川さん。何か190とかでちゃって、ボロボロになって辞めていきましたよ。かわいそうに」

 

 

 

「えげつないですね」

 

 

 

服部さんは、僕が辞めたあとの職場の様子を話しはじめた。

 

 

 

話によると、あのあと何人かの職員がいじめに遭って辞めていき、いじめを行なっていた看護師軍団も、看護師長の交代を機に全員が退職。

 

 

 

結局、老人保健施設を立ち上げたメンバーの九割は辞め、主要なポジションには、すべてあとから入ってきた本部の人間が就いたとのことだった。

 

 

 

「あの職場は誰かを的にすることで連帯感を強めていくんですよね」

 

 

 

「悪の連帯感を」

 

 

 

「変に連帯意識でちゃうんですよね。いじめとかも」

 

 

 

「よく現場見ないといけないんでしょうね。事務長とかが」

 

 

 

「あの事務長の欲望を達成させるためにやったもんですもんね。半年で百五十人入所させ、業界の新記録を達成するだとか」

 

 

 

「本当そうですよね。事務長はなんか女の人には甘いんですよね。同じ相談員でも仕事の量が倍だったり……。また来月で一人辞めちゃうんですよ。結局、なんか朝丘さんが辞めて、朝丘さんのポジションみたいになっちゃって、とても精神的に耐えられないみたいな感じで」

 

 

 

「よかったじゃないですか」

 

 

 

「大川さんが辞めたのは、九月末か十月末ですね」

 

 

 

「ケンカしたんですか」

 

 

 

「締めだされたっていう感じですね。がんばっているけれど、できないみたいな感じになっちゃって」

 

 

 

「またムチャさせたんじゃないですか、事務長が」

 

 

 

「そのあと血圧が高くなっちゃったんですよね、大川さん。一九〇とかでちゃって、血圧が。ボロボロになって辞めていきました」

 

 

 

「えげつないですね。どうしよもないですよ、あの職場は」

 

 

 

「外からだと、わかんないですけれど、かなりいじめがあるみたいですね」

 

 

 

「あそこはだれかを仲間外れにして、悪口を共有することで、連帯感を強める」

 

 

 

「悪のネットワークですね」

 

 

 

「犯罪者意識を共有しているんですよ。以前だったら、怒る先生とかいましたけどね」

 

 

 

「現場見ないとダメでしょうね、事務長が」

 

 

 

「だから、ぼくは何十回も事務長に言いましたよ。現場見てください、って。情けないのは、辞める日にあいさつできなかったから、お世話になりました、って電話かけたら、あの人、電話を切ったんですよ」

 

 

 

「それはひどいなあ」

 

 

 

「ちょっとねぎらいの言葉とか、あるじゃないですか」

 

 

 

「あの人の欲望を達成させるために、みんながんばったようなものですよね」

 

 

 

「あの事務長、ぜんぜんリーダーシップがないですけれど、ほかの事務長はこわい性格の人が多いですよね」

 

 

 

「だから、逆に秩序も成り立っているんですよね。事務長が締めないから、結局、いじめとかもやりたい放題じゃないですか。あの人は部下としてはいいのかもしれないけれど、人の上に立つ人ではないですよね」

 

 

 

「事務長は、なんか女の人には甘いんですよね」

 

 

 

「うちの職場は食堂のコックの数が多いのが自慢なんだって。コック雇うなら、相談員なりPTなりケースワーカーなり、足りてないところを探せばいいのに」

 

 

 

そのあとも服部さんの話は続いた。

 

 

 

辞めていく看護師、相談員、助手同士の喧嘩、新しく入ってきた理学療法士の悩みetc.

 

 

 

「あの施設で骨を埋めるつもりですか」

 

 

 

「僕も辞めたくなることがありますよ。勘弁してくれ、って」

 

 

 

「服部さんの資格があれば、よそへ行っても雇ってもらえるから、よそへ移ったほうがいいですよ」

 

 

 

             *

 

 

 

二年後、服部さんの奥様から電話があった。

 

 

 

主人は心筋梗塞で亡くなりました、とのことだった。

 

 

 

過労死だと直感した。

 

 

 

服部さんが亡くなり、すこしだけ考え方が変わった。

 

 

 

そのころの僕は、交通事故の後遺症で高次脳機能障害になり、医師には、働けない、と宣告され、〝いつまでこんなところで足踏みしていなくちゃいけないんだ〟と過去を振り返ったり、将来の心配をしながら焦っていた。

 

 

 

だが、そういうのはやめ、いまを見つめ、意気込まず、平凡に生きよう、と思うようになった。

 

 

 

いくら自分が幸せになりたくても、服部さんのように死んでしまったりして、まったく予期せぬ方向に流れてしまうこともあるのだ。

 

 

 

だから、長い入院生活で学んだ「感謝の気持ち」「足ることを知る」をベースに、あまり必要以上に新しいことに手を広げないで、自分のコントロールできる範囲内で生きようと思うようになった。

 

 

 

服部さんは責任感の強い人だった。

 

 

 

そして、僕があのころいたその職場は検索しても〈ブラック企業〉として挙がる医療グループだった。

 

 

 

詳細を書くと特定されてしまうので書けないが、ほかにも過労死して新聞に載った後輩がいる。

 

 

 

だから、僕のように、あいつ辞めやがって、と逆恨みされようが、辞めていれば、服部さんもこんなに早く逝かなくて済んだのに、と思う。

 

 

 

服部さんの死から学んだことを大切に、精一杯生ききるつもりだ。

 

 

 

©2024 Daisuke Asaoka

 

 

 

 

 

 

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