#22:生産性のないものが存在する意味【朝丘 大介】
宮沢りえ主演の映画『月』を観た。
この映画は、かつて実際に起きた事件をモチーフにしている。
主人公の宮沢りえさんは一発屋の元売れっ子作家だ。
本業の書く才能が枯渇し、食べるため、森の中にある障がい者施設で働きはじめる。
口もきけない、意思疎通のできない重度の障がい者たちを相手に、
施設職員たちは、だんだん心を病んでくる。
働くうちに、主人公は施設で日々障がい者に虐待が行われ、隠蔽されている現実を知る。
施設長は、現場のことをまるでわかっていない。
そんな気の狂うような現場で、手取り17万円の重労働でボロボロになり、
「サトくん」と呼ばれる職員が、精神に異常をきたし、
「生産性のない障がい者は殺してやるべき」
と言いだす。主人公のりえさんはサトくんを必死になだめるのだが……。
この映画で印象に残ったのは、目が見えなくて、耳も聴こえない障がい者で
他人と意思疎通のできない、ヘレンケラーのような女性だ。
暗い部屋に一日中寝かされている。
たまにお母さんがやってきて、彼女の傍らで話しかける。お母さんは
職員のりえさん同様、彼女と心で話ができるという。
僕も、認知症の母が老人ホームで一日中寝たきりにされていたときは、話し
かけたり、母が好きなDVDをかけたりして、脳に刺激を与えた。
植物だって、「きれいな花を咲かせてね」と毎日話しかけると、きれいな花を咲かせてくれる。
それと同じだ。
おじいちゃん、おばあちゃんは生産性がなくても、いるだけで子や孫にとって
嬉しい存在だ。
だが、意思疎通ができなくて、家族のいない障がい者はどうだろう。
かつてブッダはこんなことを言った。
「木や草や山や川がそこにあるように、人間もこの自然の中にあるからには、
ちゃんと意味があって生きているのだ。あらゆるものとつながりを持って……」
だが、幽閉されてつながりを持てない障がい者は?
施設の職員やボランティアが声掛けして、つながりを持つのだ。
そのためには、政治家が現状をもっと把握できるよう、施設は可視化
しなければならない。
僕も高次脳機能障害という障がいがあるが、かつて僕のヘルパーだった人は、
いつも〝絆(きずな)Tシャツ〟を着ていた。
障がい者を支援する人の中には、そういう人だっているのだ。
「木や草や山や川がそこにあるように、人間もこの自然の中にあるからには、
ちゃんと意味があって生きているのだ」
木や草や山や川がそこにあるように、生産性のないものも、意味があって
存在する。
その意味は各々が考えるのである。
僕個人の意見としては、池波正太郎氏の言葉を引用したい。
「一椀の熱いみそ汁を口にしたとき〈うまい!〉と感じるだけで、生きがいを
おぼえることもある」ー池波正太郎ー
目が見えない、口がきけない障がい者だって、おいしいものを食べて、
〈うまい!〉と感じられるだけで、この世に生まれてきた意味がある
のではないだろうか。
そもそも生きることに生産性を求めてはいけないのかもしれない。

©2023 Daisuke Asaoka